単なる思いつきのメモなので、無意味監獄に書いておきます。
ちなみに内容が正しいかどうかの保証は全くありません。正しくないと思って読んだ方が賢いでしょう。
RAMになれなかった者達 §
「RAMになれなかった者達」については、このコンテンツで述べました。
この人達は、コミュニケーションの痛みを過剰に高すぎるハードであると見なした、と解釈できるかもしれません。
では、具体的に痛みとはどういうものがあるのか。
いくつか考えられる中で、特に思い出深いのは「おまえは自分が思っているほど賢くはないと思い知らされる」という痛みがあります。そういう経験は何度もあります。
しかし、自分の賢さを否定されるような体験は気に入らない人もいるでしょう。
そのような経験は「誤ったこと」として、それを回避するようなシステムを肯定することはあり得るでしょう。完全匿名掲示板システムであれば、痛い突っ込みをもらっても、誰も彼が突っ込まれたということは分かりませんから、プライドを保てます。つまり致命的な痛みを回避できます。
ヒッキー=ひきこもり §
匿名掲示板利用者である2ちゃねらーが、「ヒッキー=ひきこもり」(というのは差別的な言い方のようですが)、と呼ばれるのを目にする場合があります。
ひきこもりというのは、斎藤環さんによれば「去勢の否認」、つまり自分が万能の存在ではないことを否定されること(去勢)を受け入れないことなのだそうです。(注: 全ての「去勢の否認」者が「ひこもり」というわけではない)
この2つの話が、ふと頭の中で結びついた (それが正しいかどうかは無保証) §
この2つの話が、ふと頭の中で結びつきました。
RAMになれなかった者達が、「自分の賢さを否定されるような体験」を忌諱した者達であるとすれば、それは「去勢の否認」となり、「ひきこもり」あるいは「ひきこもり」と類似の精神構造を持った人達である、という考えが成り立つかも知れません。
とすれば、「RAMになれなかった者達」が「ヒッキー」と呼ばれるに至るのは当然の流れであると考えることができるかもしれません。
(もちろん、個々の人間を見ればそんなに単純に割り切って考えられないでしょうから、過度の一般化は危険です)